わたしの中には、「楽しみたくない」って気持ちがあるんだなあって気づいた。
私の中には、楽しむよりももっと重要で切実なことがあって、楽しむよりそっちを優先したい、楽しんでなんかいられない!って思いがある。
昔よりは減ってきて、楽しむ方向にどんどん向かってるけど、やっぱりこの思いはゼロにならなくて、いまも常に消えない。
BUMPのライブに出逢ったことはその思いを簡単に飛び越えちゃう、とてつもなくおおきい出来事だったんだけど、でもそれでも根強く残ってる。
だから、いま、昔とくらべるとびっくりするくらい元気になって、何でもできるし何でもしていいのに、それでも行動にかかってるストッパーの正体は何かなって考えたら、たどり着いたのがここだった。
パワーがないわけじゃない(まだ少なくてやりくりは考えなきゃいけないけど)、でもできない、のはなんで?
ここがひっかかってた。
その、楽しむより大事なことってなにかっていうと、
辛いって訴えること。
辛いってappealすること。
辛さに焦点をあてて、辛さを表現すること。
うーーん、遡ると、小1くらいまでもどると思う。
なんか、辛いってポーズしてれば誰か優しくしてくれるかなって。
そこまでつらくなくてもちょっとつらかったら、わざと無口になったりして、つらいアピールしてた。
そんなことは全くないってことを小5小6で痛感というか、身をもって学ぶんだけど。
本当につらくなって、つらいアピールをまわりに撒き散らしたけど、優しくしてくれる人も気にかけてくれる人もたくさんいたけど、でも別に何も救われなかった。いくら辛いって発信しても別に周りは変わらなかった。自分が変わるしか、状況が変わる方法はないと知った。
でもわたしの中にはまだどっか残ってるんだなあ。
笑って楽しんでたら、みんなに「ああ、大丈夫じゃん」って思われちゃうでしょ、それがわたしにとって絶対になんとしても避けなければならない事で、一番に忌避せねばならない事で、
それには「わたしは大丈夫じゃない」っていうのがセットなわけだけど。
大丈夫じゃないから、その大丈夫じゃなさを、どうしても周りに伝えなきゃいけなかった。それは楽しむことよりわたしにとって重要で、
楽しんでなんかいられない、大丈夫じゃないって誰かにわかって欲しいって。
そしたら高校でさらに本当に大丈夫じゃなくなって、でもその頃には大丈夫じゃない状態をみんなに見られたら終わりだから、一緒にいてもらえないから、大丈夫なふりをしようと頑張るけど、ぜんぜんできなくて、ひとりぼっちになって、大丈夫じゃないし、ぜんぜん楽しくないし、楽しみたいけど、まず楽しむより誰かにわかってほしいし、でも大丈夫じゃないってばれてるから一緒にいられないし、でも大丈夫になれないし、辛いものは辛いから優しくして欲しいし、、、、
楽しむのがどうやるかなんてわかんなくなった。(笑)
ずっとこんな感じだった。
はあ、なんてめんどくさい。
笑って楽しんでたら大丈夫なんだって思われるのはほんとうに嫌で、そんなん思われるくらいなら楽しまない!って、そういう断固とした意志がありました。
意味わかんないよなあ。
でもいまもちょっとあるなあ。
ほんとうにそれを超えちゃうくらい、楽しみたいこと、楽しいことと出逢ったから、楽しいってこんなに楽しいんだ!っていうのが、最近、大学入ってからわかったので、楽しい方に向かっていけるようになりました。
辛いって訴えたい気持ちよりも楽しみたい気持ちが上回ったから。
辛いって訴えたい気持ちもそのまま残ってるんだけど、楽しみたい気持ちがそれを超えたから。
そしたらね!不思議なことにね、いや当たり前の事かな?楽しんでたら、辛いって気持ちが減るから、辛いって訴えたい気持ちも減ってくんだよね!!!!!そしたらどんどん楽しみたい気持ちが増えてくんだよね!!!!
で、実際楽しんでみると、楽しいからね、どんどん大丈夫になってくんだよねーーーーーーがんばって大丈夫になったわけじゃない、ただ楽しむことを選んだだけでね!!!
笑えるよね!!!
楽しむ、にはそれより大事なことがあるからっていうのと、もうひとつ別にストッパーがかかってて、それが、楽しんじゃいけない、こんな大丈夫じゃない頑張ってない状態で楽しんじゃいけない、みたいな気持ち。
(また別に単純に自分の中に楽しむだけのパワーがないっていうのもあるけど)
楽しみたいって気持ちが増えても、実際に楽しむ行動をとるまでには、「楽しんじゃいけない」っていう、ひとつ鍵がかかってて。
でもそれをいとも簡単に外してくれたのが、ゼミの先生でした。
人生楽しまなくちゃって、楽しみなさいって言ってくれた。
わたしにとって先生は本当におおきい存在なので、先生に言われたら、ねえ、それはかなり大きな
スキーマだったと思うけど、そっか楽しんでもいいんだって、すとんって納得できた。
いまもしょっちゅう、「あ、楽しんでいいんだった忘れてた」みたいなことがよくあって、何回も何回も助けられています。
これからもずっとそうだとおもう。
そもそも、
つらいアピールしたい気持ちってなんなのか。
やっぱ被害者意識がつよいからだと思う、、
ロールシャッハでも被害的って出てるって言われたし、、、
母親が私よりもさらに輪をかけて被害的で、それは、もう怖いくらい。。
だから、何かをされた!被害を受けた!って気持ちがきっとあって、それを訴えたいのかなあ。。んーー。
でも高校で具合いが悪くなった時も、何か対象があったわけでは全くなくて、(いじめとかじゃなかったし)逆に全くそういうものがなかったんだけどな。
あるとしたら、やっぱ親かなあ。。。。。。
でもな、被害的なのは最近だんだん自覚してきたけど、そのベクトルが外に向くタイプじゃなくて自分に向くので、被害者意識があるからって他人に対して攻撃的になる、とかいうわけではなく、その攻撃性はひたすら自分に向けられて自分のエネルギーを削るわけですね。
あ、なんか書いてていまちょっとわかったかも。
だから鬱になったのか。
だから、うーーーん、
わたしがしなきゃいけないのは、
まず楽しむこと!楽しんでいい!!!楽しんだ方が絶対いい!!
辛いって気持ちはカウンセリングの中で扱って整理していく。
被害的だとしても、やっぱなにをそんなにしてまで訴えたいんだ?ってところをもっと自分で知らないと、ずっとこの気持ちに振り回されて、楽しめることを逃しちゃう。
あーーちょっとわかった。
書くって大切。
とりあえず中途半端だけどおわり!